2011年02月

2011年02月27日


 しつこくPSP-3000で電子書籍を読もうという試みを続けております。
PSP-go は電子書籍を読むのに大変適しているらしいのですが、3000はそうでもないらしいです。

 しかしながら、.jpgであれば、フォトのメモリースティックに入れ込んで文章を読むことができます。100頁くらいまでならおkだそうです。

 というわけで、やってみました! 縦書きのファイルを入れたので、わざわざ左90度回転させないとつらいのがなんですが、とにもかくにもこれでなんとか電子書籍を読むことが可能になりましたよ ヽ(´∇`)ノ

 PSPって今までゲームにしか使ったことなかったんですが、色々な機能があって結構遊べますね^^ 

 かなり満足したので、明日からは普通にモンハンをしたいと思います(爆)





2011年02月25日

 PSPでなんとか電子書籍を読めないかとあれこれ検索していたところ、youtubeやニコ動の動画をPSPで保存して見ることができることがわかりました。

「少女時代の動画を入れてくれ」
 とねだる長女のリクエストに応えて、こちらのフリーソフトを入手し、無事PSPのメモリに保存したのですが

 どうもK-POPSというのは、私の目にはやぼったく映ってしまうのです。

 いや、よく訓練されたダンスと歌でかっこいいんだけど、なんだか何かが1つ多い。(ファンのみなさまごめんなさい;;)

 なんで?

 私が完ぺき主義者すぎて、完璧なものから紙一重崩したのが粋だと思うからなのでしょうか。やはり日本文化は「粋」を大切にするのですね><
 
 で、どこがどう違うのかAKB48の動画も見てみたのですが、

 こちらはなんか…スレた感じがするというかなんというか…。歌も素人っぽい感じが…。(またまたファンのみなさまごめんなさい><)

 そして気がついたのですが

 私の感性そのものが年取ってしまった模様です。。

 オバチャンもうついていけないわ(ノ∇`)



2011年02月24日

 ニコ動で紹介されていた方法だが、村クエの☆1クエ「ケルビの角を~」を巡回する。

 ケルビの角3つ納入したらおしまいのこのクエスト。 ありったけの角を持ち込み、クエスト最初に赤い箱に納入して、はいおしまい。

…4周やって飽きる…。。。

 仕方がないので、村ギギネブラと村ロアルドロスを育っていないオトモと巡回する。

 強壮エキスとアルビノエキス以外は全部店売りして小銭とアイテムを貯めつつ、オトモも育てる。

 今のところこればかりしています。

 緊急クエストが出てくるのはいつのことやら。。。続きを読む

2011年02月20日

 私が常日頃財布に入れて持ち歩いている臓器提供カードには

3.私は臓器を提供しません。

 に○がついている。

 これについて、社会的な理由は、遺体が通常通りに葬儀の場に存在しないことを想定した場合、多くの人に
「何故この場に遺体がないのか」
 を説明しなければいけない喪主のことを考えたり。

 はたまた、あらぬ時に遺体が帰ってきて、通常なら葬儀の流れで火葬してしまえるところを特別に手続きして火葬しなければならないだろう残された人々の手間を考えたり。

 あれこれ思うとどうも安易に臓器提供する気持ちになれないというのが大きい。

 ただ、これは私とその周囲の人が臓器を提供してもらわなければならない立場に立ったことがないだけで、もしそんな立場になったら、遠慮なく提供してくださる臓器を頂くと思うし、考えも変わって、周囲を説得してでも臓器を提供したいと思うかもしれない。

 私という存在は不安定なのだ。いつなにをきっかけに考えが動くかわからない。


 では宗教的に考えたらどうなのだろう。

 これについてはあれこれあれこれ考えたのだけれど、どうもどの考えもよろしくない。

 つまり、宗教の言葉を自己正当化に使ってしまい、自分の意見をいかにももっともらしく仕立て上げようとする魂胆が出てしまう。

 断言するが、私は自己中な人間である。世界中のだれよりも自分がかわいい。 そのかわいい自分が不利になるようなことは書きたくないのだ。

 臓器を提供しないということをもっともらしく宗教的に装飾してしまいたいという心根。

 臓器を提供するということをもっともらしく宗教的に装飾してしまいたいという心根。

 どっちも我が身かわいさで出てくるものだから、ある意味純粋といえば純粋なのだが、やっぱそれはなんか不純だなーと思ってしまう。

 今、あらためて「宗教的」ということを思い起こしてみるとふと浮かび上がる言葉がある。

 世間虚仮 唯仏是真(せけんこけ ゆいぶつぜしん)

 という聖徳太子のお言葉である。

 この言葉には不思議な響きがある。 普通は「世間真実 神仏虚仮」なんじゃないかとそう思うけれども、しかしながらそうではないのだ。

 ここにこの問題のキーがあるような気がする。

 百歩譲って、何となく「世間虚仮」はわかるような気がする。不老不死とかないし、生きているものは必ず死んでしまう。100年たってもメンテなしで新築のままという家はないし。

 しかしながら「唯仏是真」これはわかりにくい。正確に言えば人間にはわからないものだけれども、この「わからない」ということも、わかろうとして真剣に求め続けた上でわかるものだろうし。

 思うに人間は何か確かなものに支えられないと安心できないのではないだろうか。 だから「世間虚仮」というのは、何となくわかるけど考えたくないものなのだと思う。

「10年後にはこの中にいる人のうち誰か死んでるかもしれないねー」
 と、私としては他意なく口にする言葉も、場によってはとんでもなく縁起の悪い言葉として牽制されてしまったというマイリアル話もあったり。

 でもそんな話してもしなくても人間死ぬ時は死ぬじゃない?私も生きてるかどうかわかんないよね? っていいたかったけど空気読んでだまってました^^;

 世間を真実として立てると、これは苦しく窮屈なものになるような気がする。

 だって真実じゃないし。移り変わるものを変わらないものとして固定しようとすると、余計な力がはいってしまうのは当たり前なのではないだろうか。

 壊れるものは壊れるし、生まれるものは生まれるし、だけどたまたま今ここにこの姿であるだけで、次はわかんないよというところで平気でいられることは、虚仮を真実として立てようと頑張っている人には耐えられないことなのかもしれない。

 だけど壊れちゃう。

 「唯仏是真」とはそういうことを通して知らされるしかない。その中で別に壊れるものを壊れないようにしてもしなくてもいいんだというところで、真っ暗な箱の中に一条の光が差し込むように見える…人もいる…ような感じ…って書いてわかる人にはわかるけどそれが神秘体験みたいで胡散臭いと感じる人にはそうだろうなあという歯切れの悪い文章にしてみたり。。

 まあ、ともかく「唯仏是真」という世界を知っている人は、世間に対してなんというか、心持としては自由になれる部分もかなり出てくると思う。

 だって、固定じゃないもんね。いつか変わるものだから。

 宗教って、窮屈になるものだと思っている人も多いけど、私は自由になるものだと感じている。

 心が着地する場所があると、ある意味何をしてもオールオッケーな感じがあるから。

 だから、臓器提供の話に戻ると、臓器を提供してもいいし、しなくてもいい。 その問題に必死になってもいいし、無関心でも別にいいじゃない。その時その時の縁に従って自分が一番いいと思うことを一生懸命したらいい。それに善悪などないのだと思う。

 私とは、私が「自分」と思っている以上に沢山の不安定な要素が複雑に絡み合って偶然あるものだ。

 自分の心に従うと言ったところで、そこにはそれまでに影響されたものがずっと積み重なって今の決定があるものだ。急に考えが出てきたわけではないだろう。

 だから、私は臓器は(今のところ)どなたにも提供するつもりはないのだ。

 理由は、それが一番心が苦しくないから。

 ただし、将来的に考えが変わるかもしれない。

 これが一番正直なところではないかと思っている。

 また考えが変わったら、それを書きます。 ただ、その時はいつも

・それが自分にとっての結論になってしまっていないか。
・常に2つの世界から問われているということを忘れていないか。

 ということを気にとめたいなあと思っています^^

 

2011年02月18日

 今朝のブログのようなあれこれがあり、ついに3冊の本を電子書籍化してきました!

 門徒さんがPC教室を開いていらっしゃるのでそこにお願いしてやっていただいたのですが、電子書籍いい!!

 なんといっても拡大が自在なので文字がちみっこくて読みにくかったものがすごく読みやすくなりましたよ!

 惜しむらくは斜めになってしまっていることですが、裁断した元本を引き取らせていただいたので、どうしてもというなら自分でスキャンしなおしてもいいかもです。

 電子書籍化、ちょっとクセになりそうです。

 ただ、電子データにして満足して終わりになりそうなのがちょっと怖いですが^^;;;