2014年09月20日

 冒険板で募集かけてチャレンジしたクエストで連続失敗すると凹む……。
昨晩攻城戦「真田の意地」徒党を組んでくださったみなさま、応募ありがとうございました。そして結局達成できずに申し訳ありませんでした(ノ∇`) 甲斐性のない私を許してください;;

 真田の意地は、修正入る前のハメ仕様でしかしたことなかったのですが、1がいつまでも生きてるとやっかいこの上ないですな@@;


 その後、一門でもう一度どっかいこうということになって、決死の殿でお茶を濁して落ちました。

 なんか改装金片ゲットしました。なんか作ろうかな……。

 新章は、やっぱりなんだかなーって感じでしたが、キャラクター消えなくてすみそうなのはちょっと良かったな。 アカウント増えることになりそうなんですが、増えても補欠アカウントになりそうです。


 仕事が大体終って21時頃から一門のみんなでだらだら話して狩りに出かける。そんな平穏な日々がいつまでも続けばいいのに。そう思うことは、同時に今つらい時間をすごしている人の時間を長引かせる想いに繋がるのだろう。自分がつらい時の時間がいつまでも続いてはたまったものではない。時間が平等に流れていてよかった。

 色は匂えど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ

 この歌の後半

 有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔もせず

 を聞くために身を投げ出したのは雪山童子(涅槃経第十四)

 
 いつか誰かがいなくなる。

 少し前、夜道に車を走らせると海辺の田舎道には産卵の為のカニが横切っていて、それをふまないようにと妙に神経を使った。たまにつぶされているカニや亀を見ると、ああ……。と思う。

 その時、私は自分は死なないと思っているらしい。本当は自分も死ぬ。今死んでいるかいつか死ぬかの違いだけで、いつかいなくなる。いつか私の身体は焼却されて地球のカーボンサイクルに組み込まれるのだろう。心はどうなるのかしらないけれど、体が無くなったら、今と同じというわけにはいかないのではないだろうか。

 痛みを感じるのは身体が今ここにあるという証拠だ。人間の痛覚や思考は脳内の走る微弱な電気信号によるものだけど、身体がなくなったら何によって思考するのだろう。何よって痛みを感じるのだろう。

 生きているとは、不思議なものだと思う。死んだらどうなるのかは、自分が死んだらわかるのだろう。だけど、個体が死んでもいのちは終らない。なんとなくそう思う。

 有為の奥山を越えた時、夢を見ながら夢に酔わない人生が開けるというが、私は一生ほろ酔いのままがいいな。

 新章がくるということで、まだしばらくは信onの夢を共に誰かと見る機会に恵まれたことを今は静かに喜ぼう。

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