2012年09月19日

「あなたは幸せですか?」

 と街頭でいきなり聞かれたら、あなたはどうこたえるだろうか?




 私なら、何かの商法か新興宗教の勧誘だと思って身構えてしまうが、素直な人はその場でつい思ってしまうかもしれない。

「私、幸せなのかなー?」

 こんな風に自問自答できる人を私はとても素直でいいと思うのだが、ちょっと待ってほしい。この質問には罠があるのではないだろうか。

「自分は今幸せなのだろうか」

 という問いを自らに投げかけた時、答えは次の5択であろう。

「幸せ」「まあまあ幸せ」「ふつう」「どちらかといえばそうでもない」「幸せではない」

 極端な人は3択に、さらに極端な人は2択になる危険性もある。

「幸せ」「幸せではない」

 そして、ここからが重要なのだが

「幸せ」と判断した人は、その幸せをいつか失うかもしれないと不安になる傾向があり、「幸せでない」と判断した人は「幸せでない状態」である自分に不安を覚えがちだ。
 というか、そういう思いに誘導できる性質がこの「あなたは幸福ですか?」という質問には含まれている。


 この世で人が飛びつくものと言えば幸福追求の教えとその商売であろう。人は「不安」に弱い。だから不安にさせておいて、その後であらためて安心させるようなものを提示すればいい。

 人を不安にさせる場合、何かの具体的な商品やステータスよりも「幸福」などという抽象的なものを掲げるのが良い。なぜなら、それは一定の形をもたないからだ。一定の形をもたないというのは「こうすればいい」というものなどは無く、要するに「どうにでも言いくるめられる」のである。

 幸福などという概念には実態がない。そして実態がないものに人は惑わされる。

「要するに心の持ちようでしょ?」

 と賢しい人は言ったりするのだが、そもそも、その心そのものが安定していないではないか。だからその不安定な心の持ちようでかわる幸福というものが、さらに安定しないものであるのは当然のことだろう。 

「あなたは幸福ですか?」

 と聞かれた場合、多くの人は、特に幸福の絶頂でもなければ不幸のどん底でもなく、別にどちらでもない場合がほとんどだろう。だがそれで別にいいではないか。無理に幸福か不幸かそうでないのかと自分をカテゴライズする必要などどこにもない。

 心が嬉しいと感じる時嬉しく、心が悲しいと感じる時悲しく、喪失感でいっぱいな時放心する。それで何がいけないのだろうか。

 だから、そういう質問をされることがあったら、あるいは自分で自分にしたくなってしまったら言ってみるのがいいかもしれない。

「幸福ってなんですか?」

 

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この記事へのコメント

1. Posted by 猫乃たまご   2012年09月20日 09:51
「とてもやる気がありません」

 という文章になってしまってアレなので、続きを書こうと思います^^;;;

 自分が幸福についてどうでもいいと思ってる感がにじみ出すぎです^^;;;;
2. Posted by 加賀坊   2012年09月20日 12:02
誰かが「マザー・テレサは金持ちではないけど、世界一幸せだ」と言った人がいました
また、ベトナムでは日本より所得は貧しいけれど、「幸せだ」と答える人が多いそうです
理由は「明日は今日よりよくなってる」だそうです
「幸せ」とか「幸福」って人それぞれですが、人の気持ちに明るい要素や充実感と言った、前向きな要素がないと、人は「幸せ」とか「幸福」なんて感じない気がしますね
3. Posted by 愚蔭玄影   2012年09月20日 12:09
不幸の原因を外に押し付け
幸福のタネを外に求める
ああ、むなしきや。


私と私を取り巻く全てを
善と悪に分け
悪を避け、善を貪る
ああ、おそろしや。


私の思う良し悪しなんて、一番頼りにできない、
本当にどうでもいいことなんですけど、
改めて指摘して貰うまで、
ドツボにはまって求め渇き続ける私がおります。
4. Posted by トーマ   2012年09月20日 22:47
昨日聞いてきた話しで関係してそうなことを。

--------------------------------
・日本理化学工業 大山会長の話
 障がい者雇用について障がい者を雇用した際に出た疑問。
 「施設にいて3食何とか付きのほうが幸せなのに、どうして彼女たちは毎日、満員  電車に乗って会社に来るんでしょう?」
・禅僧からの回答。
 『人間の究極の幸せは、愛されること、褒められること、役に立つこと、人に必要とされることの4つです。愛されること以外は、働いてこそ得られます』

・ドイツにおけるユダヤ人迫害
 そこではユダヤ人たちは明日死ぬかもしれない。それでも楽しみを見つけようとする。
--------------------------------

要するに自分の中で自己完結で幸福を感じようとするのは難しい。たいていは他人との関係の中での意味付けから自分の存在理由を見つける。

あと収入と幸福度にはある程度相関があっても年収650万を超えると幸福度が頭打ちになるそう。
実際聞いた話で年収1000万を超える辺りから年収が落ちるのが怖くなって守りに入る人が多いらしく、「あいつは失敗して転落したけど自分は今の地位を守っている」と自慢するそうです。(テレビ関係者談)

「心の持ちよう」とは言っても、日本人は様々な機関の幸福度調査でも一貫して幸福度は低いあたり「心の持ちよう」ではない別の問題があるのかもしれませんが。
(実際、日本より経済規模も小さく失業率も高い南米の国の幸福度が高かったりするので)
5. Posted by 猫乃たまご   2012年09月20日 23:12
 おおおう。なんかコメントが@@ どうもありがとうございますm(_ _)m


 レスを書いてみたのですが、ちょっと気に入らなかったので投稿やめました。少し寝かせますので、今しばらくおまちくださいm(_ _)m
6. Posted by 猫乃たまご   2012年09月21日 19:59
☆加賀坊さん

 んんー。マザーとベトナムの人のケースは同じ「幸せ」でもずいぶん質が違う気がしますがどうでしょう?

 私は、マスローの5段階欲求の最後の「自己実現欲求」はさらに2つにわかれると思っています。つまり「宗教的な自己実現欲求」が最後にくるのではないかと思います。マザーテレサは祈りの中にいらっしゃったのでその段階じゃないかなーと。

 ベトナムの方々の幸福感は、かつて日本人が高度経済成長期に抱いていたものと同質のものだとしたら成長がある程度落ち着いた後には、未来に希望が持てなくなった人が量産されることになります。

 そうではなく、貧しいということが心の豊かさにつながる(人は財産を持てば持つほど背徳的な行動に出る傾向があるらしいです)のだということだとしたら、その鍵は「知足」にあるのだということでしょうか。

 前向きなふわふわした気持ちになるためには、国家も人間も勢いがないといけない、つまりは若さが必要ってことなんでしょうか。少し切ない気持ちになりますねw
7. Posted by 猫乃たまご   2012年09月21日 20:10
☆玄ちゃん

 人間は本能的に自己否定をしたくない生き物らしいです。だから一番手軽な「誰かのせいにする」んですね。

 私はこの話を聞いたとき、ほっとしました。そうか。本能なんだ。なーんだ、みんなそうなんだ、よかったーとw

 みんながそうだから自分の行為がチャラになるわけではないのですが。そんなところで自分が社会的な体裁に重きを置いていると知らされたりしています(はは

>改めて指摘して貰うまで、

 お聴聞は「溝さらえ」といいますが、本当にそうだなあと思いますね><b

8. Posted by 猫乃たまご   2012年09月21日 21:08
☆トーマさん

>年収650万を超えると幸福度が頭打ちになるそう。

 私はこれを聞いたときうれしくなりましたね。

 バブル時代、月収数百万円もらっていた方が、とある会合で
「お前は金持ってないんだから、あんまり高価なものをほしがるなよ」
 的なことを言われて、世の中にはすごい金持ちがいるんだと上を目指すのやめた的な発言を見たことがあるのですが、年収650万円で十分お金持ちな気分になれるということは「少欲知足」なんじゃないかと思います。

 まあ、結婚前手取りで月16万円くらいの収入だった私は年収650万円なんて想像もつきませんがっ。

 ただ、お金が十分になった時、次に目指すものがよくわからないということで幸福感が著しく目減りするのでしょうか。この場合の幸福感の有無とは「未来に希望があるかないか」ということなのかもしれません。右肩上がりというのは人を幸せな気分にさせてくれますよね。

 しかしながら、目標を達成してしまうと空しくなるというのはとてもいい感性じゃないかなあと思います。

 そこであらたな目標を見つけ続けて一生を終えてしまうのか、結局空しくしかならないものを追い求める自分の姿勢から何かを感じるか。 本当の幸せというものがあるとしたら、ここにターニングポイントがあると思うのですが、どうでしょうか?
9. Posted by 加賀坊   2012年09月21日 21:12
>マザーとベトナムの人のケースは同じ「幸せ」でもずいぶん質が違う気がしますがどうでしょう?

言われるとおりです・・m(__)m
「そういえば・・・」と、思い出したので、そのまま書いてしまいました(^^;

>前向きなふわふわした気持ちになるためには、国家も人間も勢いがないといけない、

私が何となく思ったのは、途上国が成長していって得る「幸せ」は、言われるように勢いや若さがないと得られない気がしますね
そして、国家が成長しきって成熟の時を迎えた時に、ふと後を振り返ったりする時間が出来て、色んな事を考える人が増えて、今度は「心の豊かさ」とか、「幸せって?」とか、そういうものを考えるようになるのではないか?、と思うのですけどもね(^^;

>少し切ない気持ちになりますねw

切ない気もしますけど、一つの流れなのかなぁ~、と思う事もありますね

#いかん、何か、よー、分からんレスになった(^^;、すいませんm(__)m



10. Posted by トーマ   2012年09月22日 17:40
余談ですが、マズローの欲求5段階説は近年の心理学研究で否定されていて、本人も晩年間違いだったと認めていますよ。

http://p.tl/Gm_i
11. Posted by 猫乃たまご   2012年09月22日 20:46
☆加賀坊さん

 どうもー。お互いお彼岸おつかれさまです><

>今度は「心の豊かさ」とか、「幸せって?」とか、そういうものを考えるようになるのではないか?、と思うのですけどもね(^^;

 そうなんですよー。お釈迦さまが奴隷階級じゃなくて王族だったのもそこに意味があるんじゃないかなあと思うのです。お金がないとたどりつけないステージってあるじゃないですか。肉体を維持できる状態になってはじめて疑問に思えることってありますよね。
 そしてそこがチャンスだと思うんです。そこで流れてしまうと寂しいですよね。



☆トーマさん

 低次元から欲求が高次元に移っていくというのは、表現方法じゃないかとは思いますけどね。本当は同時に存在するけど顕現してこないということでしょうか。

 別に間違いってほどじゃないのになあって気はします。表現を変えたほうがいい程度のことじゃないかと思いますけど、こういう学説は時代によって流れますからなんとも言えないですね。

 だけどやっぱり私は、生まれてすぐ飢餓状態の人が
「人生について」
 とか悠長に考えられる隙間なんてないような気がするんですよね。「衣食足りて礼節を知る」ということわざもありますし、やっぱり人間の強い欲求って衣食が満たされることで、それが満たされないともっと深い欲求まで気づけないのではないかなーと思います。

 まあ

 今後この学説を引くときは留意します。

 ご指摘ありがとうございます^^

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